本文へスキップ

国際ロータリー第2530地区 社会奉仕委員会

    English

震災・原発事故と福島の女性たち 2015

メニューへ戻る
福島県内一つの支援活動                        山崎捷子【会津若松市】
 3月11日の地震で、私が務めている会社(ホテル)は屋上にある給湯器が倒れ、大量のお湯が流れ出た。幸い、部屋にお客様がいない時刻で、従業員たちもけがなどはなかった。

 客室は水浸し、漏電の危険があるためにすぐには何もできない状態だった。

 まずしたことは宿泊のお客様とご宴会のあるお客様にお断りの電話で、担当の従業員が3人かかりっきりで謝りながら電話し、宿泊のお客様でどうしてもというお客様にはホテル旅館組合にお願いして空いてる部屋を当ってもらった。

 電気もつかない暖房もない、そのうえ水も出ないホテルのロビーで私はホテルの再開方法を考えた。私が会長に退き、娘婿が社長に就任して日も浅かったので、2人3脚で行くしかないと考え、2日後には2人で銀行回りをして資金を工面した。とりあえず、小さな給湯器を設置し、電気類も調べてもらい、水をかぶっていない部屋だけで、10日後に営業再開した。

 地震後、すぐに国際女性の地位協会と練馬ジェンダー研究会の石崎さんからお見舞いのメールがあり、支援物資を送りたいとの申し出があったのはうれしかった。

 そこで、福島県人権男女共同参画課に連絡した。県庁も地震の被害で対応はできないので、山崎が物資の受け入れ先になり、それを配布してはしいとのことであった。私は当時、福島県女性団体連絡協議会会長をしており、県もその任を託したのだろう。

東京方面からの物資輸送は、地震で道路が寸断されており、大変であったろうが、小口にして新潟回りで送られてきた。

 午前中に荷が届くと、その都度地元の各女性グループに電話ですぐに来てもらい、集まってもらった。中には午前中は炊き出し、午後は自分の会議の時間を割いてくださった方、夫と共に車が必要だろうと参加してくれた方、ガソリンがないので、タクシーで駆けつけてくれた方などがいた。

 原発事故で着の身着のままでスクーリニングを受けに来て、そのまま避難所のようになっていた5つの県立高校体育館と会津若松市体育館、会津短期大学部の体育館の7か所にホテルで仕分けした支援物資を運んだ。

 ホテル再開後は自宅で仕分けした。中身は私の希望で女性の生理用品と下着とのど飴などだった。子どもたちへはお菓子屋さんの品物全部と店にあるだけの果物を届けた。ホテルからは大鍋で豚汁を届けた。

 私はまちづくりにもかかわっており、「福島を元気にするプロジェクト」を立ち上げ、4月、6月、10月と合計3回開催した。さらに私の所属するいくつかの団体は会員や地元の方々に積極的に寄付を募った。

 さらに専門家に相談できる「いやしの部屋」を開催した。地震だけの地域は復興の兆しが見えていたが、原発事故で放射線漏れが発生した福島県は知れば知るほど、見通しが付かない感じだ。避難した飯館村や南相馬にも行ってみたが、収束は何時になるのか、心が暗くなる。

 風評被害、お客様が来ないなどと言っているだけでいいのかと思うが、なすすべがない。

 原発被害のない会津若松だけでも元気にして、観光業を進めていこう!