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国際ロータリー第2530地区 社会奉仕委員会

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震災・原発事故と福島の女性たち 2015

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普通の生活が破壊された                       若松蓉子【南相馬市】
2011年7月22日  普通の生活が破壊された。

 南相馬市民は2011年3月11日の地震と津波に続き、12日から4日間に4基もの原子力発電所の爆発と言う災害を受けた。

 11日午後2時46分、突如ゴーという音とともに震度6の地震、呆然自失の状態で這って階下に脱出し3回の余震が収まってから自宅に戻る。

 3時42分にはとてつもなく巨大な津波が押し寄せていたというが、電話は不通、携帯電話も混乱、TVは岩手県や宮城県の津波被害ばかり。

 まさか南相馬市の沿岸に高さ16mもの想像を絶する黒い壁のような津波が襲っていたとは知る由もなかった。

 住民は津波からやっと逃げ、市指定の避難場所へ、放射能漏れを恐れて自主避難を開始した。政府や県は「屋内避難」を支持したが南相馬市長は自主避難を容認した。

 交通網の破断・放射能漏れ・情報入手困難・公的施設の閉鎖・被災支援物資さえ届かない物流停止。

 衣食住の保証もなく病気や怪我の対応も出来ない居住不可能な状況に晒された。

 決定的なことは何の情報も伝わらない原発の炉心メルトダウンの恐怖だった。

 政府からも東京電力からも放射能の強さ・飛んだ方向・距離・危険度など何ら伝えられないまま不安な日々が過ぎた。

 私は15日早朝に原発から70km離れた福島市に脱出を強行したが、福島市は放射線量が南相馬市の数倍も高いという皮肉な結果だ。

 3月末には7万超の市人口が1万弱となった。住民は避難先を転々とし家族喪失・家族離散・マイノリティな人々の避難の困難は筆舌に尽くせない。

 病人や介護中の老人が避難中に亡くなった方も多い。市役所・全国から駆けつけた消防署・警察署・自衛隊・施設や病院関係者の働きは目覚ましく感謝の念で一杯である。

2012年6月18日  棄民となって

 福島県民は憲法上の健康で文化的な生活を営む権利が侵されている。セシウム134・137の放射能漏れにより市内は「警戒区域」「計画的避難区域」「緊急時避難準備区域」「特定避難勧奨区域」「指定区域外」の5つに分断された。

 人口は38,000人となったが住民の間には信頼や互助の精神のはかに妬み・非難・政府や行政への不満がはびこっている。放射能汚染除去を最優先にして欲しいという願いが思うように実行されていないからであろう。ここに住むことは「棄民として生きる覚悟」を持つことなのか。

2013年10月27日  復興は住民の願い

 フクシマと表記され世界中が注視している原子力発電所事故はどうなったか。廃炉まで何十年もかかり期待通りのものがない。小・中学生は50%、幼児は30%戻ったが、今なお15,000人は市外や県外に避難中である。

 子どもを抱えた若い夫婦は生活再建を避難先に求めた。

 除染・インフラの整備・社会保障の充実、雇用の確保がなければ生活復興は期待薄ではないか。それでも市民は失われた人間性の回復を求めて生まれ変わろうとしている3年目である。