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国際ロータリー第2530地区 社会奉仕委員会

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震災・原発事故と福島の女性たち 2015

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東日本大震災に遭遇して                           猪俣カツ【桑折町】
 その時、私は東京と横浜に出かけ、横浜の駅で地震に合いました。夜の演奏会の中止の知らせにショックでしたが、更に東北地方の津波の被害の恐ろしさを、ホテルのテレビで知り不安な一
夜を過ごしました。

 その夜の電話は通じ、夫と家は無事であることを確認しホッ!としましたが、東京のホテルに10日間足止めとなりました。ようやく福島行の臨時の飛行機で無事帰宅することが出来ましたが、わが町の被害の大きさにも、また大きなショックを受けました。

 わが町は原発より60km離れていますが、原発被害地より80名に近い方が公民館に避難されてきました。帰宅して早々に、今すぐに必要な品々を揃え、係りの方を通して差入れを続けました。

 今後は、仮設住宅に入居している方のお世話など、出来る範囲で協力していきたいと思ってい
ます。

あれから1年3か月

 わが町は福島県と宮城県の県境に位置し果物の産地です。特に桃は『献上桃』として、昨年も厳密な検査を経て献上致しました。それにもかかわらず、風評被害は甚大で昨年の3割も売れず、生産者にとっては予想もしなかった大きな打撃でした。その風評被害は県北ばかりでなく、“ふくしま”という名だけで、相手の取引先より拒否されたり、農家にとっては、踏んだり蹴ったりの
ダメージを受けました。

 また、放射能の汚染について、その除染が大きな悩みの種となっています。各地区の学校や幼稚園は、いち早く実施されましたが、その除染された後始末と、仮置き場が問題となり、未だに解決されず、そのまま片隅に放置され、農家の風景は一変してしまいました。小さな子供の居る家族は県外に避難され、家族が離ればなれになり、それに耐えている家族がいます。原発の恐ろしさと、先の見えない不安と悩みは、どうする事も出来ません。

2013年 これからの福島

 今まで、この日本の長い歴史の中で、どれだけ悲惨な天災や人災が繰り返されたことでしょう。

 だが、今回のこの福島での震災と原発はかつてなかった事故であると思います。その昔、我が福島会津藩の歴史と重ね合わせて考えさせられました。貧困と荒廃、家族の離散、寒さと飢え、長い苦難の生活であっても、会津魂を失うことなく、汗と涙、そして素晴らしい知恵と努力を、今この福島で学ばなければと強く感じました。

 昨年のある講演の中で、講師の先生が、最後に締められた言葉として「女性が元気であれば、必ず復興します」と言われました。これからの福島として「原発NO!」を次世代へと、引き継ぐ必要を強く感じました。