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国際ロータリー第2530地区 社会奉仕委員会

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震災・原発事故と福島の女性たち 2015

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福島から大震災を振り返る                           秋元眞樹【田村市】
 震災当日の11日、2時46分、自宅で仕事をしていた。経験したことのない揺れであったが、田村市にある私の自宅は被害がなかった。しかし自宅から40Kmの所にある福島第一原発の水素爆発で日常生活が一変し、放射能漏れの情報で街の通りは、2週間程人の姿が消えた。品薄になったガソリンを求め車の長い行列が続き、スーパーでも被害があり食料など日常品の品薄が続いた。

 震災後2ケ月が過ぎるとスーパー内の商品も多くなっていった。1年後には元通りの営業をしている店舗が増えていた。店舗には活気が戻ってきたのに、反対に心のケアが必要な人が増えていった。

 震災前から自殺予防の相談員をしていたが、震災後は相談も増え家族の離散や家庭崩壊に至った人がいた。震災原発事故に関しては個人差が非常に大きく感じられた。1年が過ぎ多くの人々は震災前の生活を取り戻しつつあったが、一部の人々は放射能汚染に敏感になり深刻な状況で、心療内科に通う人が増え、睡眠薬なしでは眠れなくなっている人々がいた。

 震災当時、1歳と2歳8ケ月だった孫も5歳と7歳になり当時と同じく私と一緒に生活をしている。病気もせずに元気に幼稚園と小学校に通っている。昨年3番目が生まれたがすくすくと育っている。私の周辺で放射能を心配して子供を生むかどうかと悩んでいる女性の話は聞いたことがない。

 事故後2年が経過し、放射能除染作業のため全国から福島へと除染作業員が来るようになり、今もなお除染作業が続いている。今は田村市周辺での除染作業が終わり福島第一原発方面に行っているようだ。億の単位のお金をかけて除染作業をしているが、本当に効果があるのだろうか。

 必要のない所まで除染しているように見え疑問が残る。

 震災後5年を迎えた現在も11万人余が避難生活をし、プレハブの避難者住宅に住める期限も1年余となっている。震災前に不便な場所に住んでいた人が震災後、街中に住み利便性を感じている今、不便な故郷に帰還することをためらっている様子が放映された。また震災を契機に3世帯同居ができなくなり家庭崩壊が増え、家族の絆が薄れている。

 福島の未来を考えると風評被害の一掃が必要だ。目に見えない放射能の恐怖から原発反対の運動が日本を覆っている。現在、原子力発電が稼動せず、輸入された石油や石炭等に頼った電力で電気料金が上がり中小企業が打撃を受けている。

 私自身、福島の人が原子力に対して恐怖心を持っているのは十分承知している。しかし原発に反対しているだけで福島は元気になっていくのだろうか。私は愛する福島の風評被害をなくし、企業を元気にしたいし、新しい雇用を生むための第一歩に安心安全な故郷福島をつくっていくため、今年5月に新しく会社を立ち上げた。夏過ぎには、新しい商品が出荷の予定となっている。